2014年2月12日 (水)

歴ブロはじめました!

歴ブロ!歴史のブログです!

アメーバブログで始めてみたんですが、やはり使いやすいしランキングなんかも出てるし、知らない方からコメントはつくし、でなかなか良いですね。

やはりここは音楽のページで詳しく歴史の事を書くのもなんか躊躇する自分がいたので思い切って別ブログで!そのうちに戦国グッズなんかを紹介するページも作ろうかと思っています(予告)

実はリンクのところにこっそりと貼ってありますがこちらのブログも音楽同様よろしくお願いします。
ゆるく気が向いたら更新していくつもりです。

ともによるコアな歴史探求の旅ブログ(仮)

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2009年5月23日 (土)

ご先祖さま~!!

Nec_0466

ちょっと事情があって貴重な戸籍謄本を入手しました。
うちのじいちゃんのそのまたじいちゃんの頃の戸籍。

これをみるといろんなことが分かりました。
今回はちょっとそんな堅い話。

まずうちの細川家のルーツについて考察してみました。
事の発端はうちの家紋が由緒正しき細川家の九曜紋だったということから始まるわけですが。

細川家といえば一般的には九州の熊本の細川家が主流と思われています。
実際に「オレ、実は武家の正統な細川家みたいだよ?」という話をするとほとんどの人が
「ええ??九州の?」と言います。

九州の細川家というのはもともと足利13代将軍義昭(足利最後の将軍で織田信長に追放された)にはりついていた細川藤孝さんが義昭→信長→秀吉→家康と仕えた結果、息子の細川忠興(有名な細川ガラシャ婦人の旦那)の代になって家康によって九州肥後に転封になったのが起源です。

もともとは細川家は足利将軍の管領としてその権勢を得た武家です。
戦国時代の幕開けといわれている応仁の乱は室町幕府管領の細川勝元と山名持豊らの有力守護大名が争ったのが起源になっています。

ここでみると細川家は近畿~四国地方を領地としていたのでうちの祖伝来の地の東北とはどうもつながらなかったんですよ。
もしかしたら一般的に言われているようにお百姓さんが江戸時代末期に急に苗字をきめなくてはいけなくなって、「うちは裏の畑に細い川がながれているから~~細川にすっぺか~~~」みたいなそんな話なのかなあと(笑)

入手した戸籍から宮城県ということがわかったのでちょっと調べて見たんですが、、、
じつは宮城にも細川浦という場所があったんですよ、しかも戸籍の住所の近くに。。。

こちら

そして調べていたらなんと、この地方豪族であった細川氏を発見しました!
資料によるとこの地方には足利の領国支配として細川氏が地頭として入封されていたと。
そしてこの地方に砦(当時の城屋敷)を築いており、戦国時代に隣国の最上氏に滅ぼされて滅亡しているということでした。
この時代の最上氏といえば最上義光で、この人はあの伊達政宗と東北地方で覇を競ってその後秀吉に臣従して江戸時代まで生き残っている戦国大名です(最上義光の妹は正宗の母)

参考資料→http://homepage2.nifty.com/siro6966/umanen3tohoku02oguni.html

こう考えるといくら時代が流れているとはいえ、当時九州に細川家という立派な大名家があったことは当時の農民でさえ知っていたでしょうし、昔の地頭さんの武家の苗字を盗み取るなんて行為は死罪に等しい罪だったのではないかと思うわけですよ。
そうするとやはり滅ぼされたとはいえ、当時の細川家の落ち人がひっそりとこの地で土着していたと考えるのが正しいのではないかと。

というわけで、清和源氏の流れをくむ細川家である僕が鎧兜に萌えてしまうという理由付けができるわけですね~


また、この戸籍をみていくと実に面白いことがわかるわけでして!
非常に興味深い事実が!!!!
このへんのことはまた次回に詳しく書きたいと思います。

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